弓矢を学ぶには《的》がなければならない。同じように、人が学問を修め身を治めるためには的が必要である。
標的も用意せず弓術を始めたら、いくら頑張っても上達するわけがない。目的地も決めずに出向したら漂流するしかない。このように、人間が生きていくのに的(目標)となるべきものがなかったら情けない造糞機に終わってしまう。
目的を持たないで教育を受ける者は、読書をしても上っ面の文字をなぞるだけだから、意味は理解できず蚊や虻の羽ばたき程度のものである。たとえ「蛍の光、窓の雪」といった苦労を重ねても、目標の見えない学問は心身疲労するだけの無駄骨に終わってしまう。
基礎教育の目標とすべきものはとはどういうものか。また教育を受ける者の《的》として着眼すべきところはどこか?
確かに現在の教育はよく整備されており、知育に偏らず、徳育にもかけず、体育にも手を抜いてはいない。それにもかかわらず欠落しているものがあるのだ。
それは、教育の《標的》が鮮明に揚げられていないことだ。その標的をはっきり自意識の上に乗せていないことだ。
私が揚げたい教育の標的は、次の四つだけである。それを口で唱えれば、わずか四つの言葉ですむが、その言葉のもつ意味・情趣・応用は、まことに深遠広大なものがある。わたしはこれから学ぶ人とともに、これを心に刻んで忘れないようにしたいと思っている。
その四つとは何か。
一、正
二、大
三、精
四、深
これらはけっして新奇な言葉ではなく、むしろ昔からの月並みな言葉である。しかし、大いなる道理というものは永久に変わることなく、古くかつ新しく恒常的なものであり、われわれを正しく導いてくれる。
古いからといって退け、新しいことを理由に歓迎するのは軽薄な作業である。太陽や月の輝きが普遍不滅であるがゆえに、山河が昔さながらのたたずまいをしているがゆえに、人間は天地の間の大原理に身を任せて心安らかに暮らすことができるのである。久しくあるからますます信ずべき道理があり、古くからあるからますます頼りになるのである。新奇なものを取り出して一時の注目を浴びることもあるかも知れないが、それはあまりに益がない。正、大、精、深を修学の目標とするのは、古いようでもますます新しく、いっそうおもしろくなるのである。
例えば日月は古いといっても毎日新しい朝がやってくるし、山河は老いたりといっても四季はいつも新しく美しい。これらはすべて古くて新しく、変化に富んでいるのである。
「正」とは《中》である。横道にそれたり偏ったりしないことである。
学問をするとき、他人に勝ちたいと願うことは悪いことではない。しかし、度を超すと中正を失う。人の知らないことを知り、人の思わないことに思い至り、人のやらないことをやろうとして、間違った近道を取ろうとするものである。
まともな書籍はおもしろくないと、奇書を好み奇説を喜ぶことも「正」を失っているといえる。奇をてらって私見を立てたり、小賢しい知恵を振りかざして、学問の大道は遠回りになるなどといって、危険な近道を選んだりしてはならない。未熟な学識・経験で、未発達の力量を忘れて、新聞雑誌などの一時の奇説・激論などに振り回されて正道から足を踏み外さないようにしてほしい。
食べ物にたとえてみれば、日常生活のごはんを硬からず軟らかからず炊けるようになることが先決だ。それができないのに、いきなり珍味佳肴の料理法ばかり追い求めるようなものである。調理の基本をひととおり習得してはじめて《燕の巣》や《鱶の鰭》と取り組むことができるのである。
学問の道も同じこと。まず大門があって正門がある。先生は大門をくぐってきた生徒をこの広い平坦な道に導いてくれるはずだ。そして、これをまっすぐに進んでいるうちに、目指すべき目標が見えてくるだろう。そこではじめて、自分の志す方向に向かってその第一歩を踏み出すのである。
大きな正道はどちらかといえば、どうしても遠回りに見えるものだ。そこで血気盛んな若者は、茨がいっぱいの急な岩山でも踏破したら近道になると意気込みがちだ。その意気は愛すべきだが、《中正》を失っていることに変わりはない。
「大」は、人みな好むところである。
ところが世の中には、自らを小さく見立てて、それでよしとする善良勤直な青年たちがけっこう多くいるのは残念である。たとえばある人は、私は学問は不得意だが、俳句は好きだから、江戸時代の俳人高桑蘭功の月並俳諧が好きだから一生この俳人の研究に取り組みたいという。またある青年は、文才も何もないから、好きなマッチ箱のコレクションで名をあげようという。そしてまた、自分には親の遺産が少しあるから、ほどほどに学問して、後は悠々自適平凡な生活をしながら読書や美術鑑賞を楽しみたいという若者もいる。
これらはけっして悪いことではないが、学問の道に入ったら自分の能力を自分で見限らず、自らを大きくする心を捨ててはならない。つとめて視野を広げ心境を開拓し、《知》を広くし《識》を豊かにして、《自己の知的拡大の努力》を続けるべきだ。
七、八歳のころ持ちあげられなかった石でも、大人になれば簡単に持ち上げられる。七、八歳の自分が、大人になった自分に及ばないのは当然のことだ。学問修行中の青年時代の自分が、やや学問の積み重ねができた壮年の自分に比べて劣っているのは明白なことである。ならば、現在の自分を基準にして将来の自分を決めつけてしまうような考えを抱くのは、何とも愚かしいことである。それよりも、今はただ当面の学問に真剣に取り組むのみだ。何を苦しんで自らを小さく卑しめ、限定し狭める必要がどこにあろうか。
修学の道で最大のタブーは、自らを小さく決めつけてしまうことだ。《自尊自大》はよくないことだが、大ならんと欲して、自ら大にすることに努めるのはきわめて大切なことである。
「人学べば、すなわち次第に大となり、学ばざればすなわち永久に小である」いいかえれば、学問は人間を大きくする原動力だといってもよろしい。けっして自らを律して《小》にしてはならない。自ら自分を真剣に《大》たらしめようと努力することだ。
「大」には《広》の意味も含まれている。
今や世界の知識(情報)があふれ入り乱れ、大きく渦を巻いている。この時代に学問をするには、広大を目指さなければならない。芽は大きく見開き肝は大きく据えて、世界をぐるりと見渡す気概こそ必要なのである。
机にへばりつき、つまらない本のとりことなって年老いてはいけない。いますぐに、「大」の一字を念じてその場から脱出して飛び立ちなさい。
「精」は、その対語である「粗」を考えるとよく理解できる。粗はゾンザイなことだ。
「精」とは、ものの実質がよく、緻密でよく磨かれ、正しく選択され、姿形・組み立てが美しくしっかりしていることをいう。
米の精白の精も同じで、厳しく選択された米をよく磨いて、糠をきれいに取り除けば水晶のように美しく味もよろしい。
「精」と評価される机がある。選りすぐられた木材は材質が緻密だから、少々の乾燥や湿気で反ったり割れたり伸び縮みをしない。念入りな組み立てで構造がしっかりしているから、少しぐらいの衝撃では壊れることもない。塗装や磨きも堅牢だから傷もつきにくい。頑丈で姿形も良いから愛用され使いこなされて、ますます値打ちが高まっていく。このように単なる家具である机でさえ、「精」なればこそ重用されるのである。
学問の道にも「精」「粗」の二つの道があるが、もちろん「精」の道を選ばなければならない。
ところが古来、時として学問をする姿勢が「精」に見えない偉人や傑物が見かけられるため、その外見だけとらえて、それを口実に豪傑ぶって「粗」の行為に出る軽薄怠惰な輩がけっこういるものだ。
精を大事にしない学徒たちがよく口にする、「句読訓詁(文章の読み方・古語の解釈)の勉強など、俺はばかばかしくてやっていられない」というのは見当違いもはなはだしい。
偉い学者が、末梢の字句解釈で重箱の隅をほじくるような真似を戒めたのは、それにとらわれて大所高所からの視点を見失うことを注意したのであって、基礎の学問を疎かにしてよいとはいっていない。句読訓詁に通じた上で、句読訓詁に足を取られて埋没してしまわず、そこを突き抜け一歩前進して思想の真意を把握しなさいといっているのだ。
文字に文章を乗せ、文章に思想を乗せて伝達する以上、句読訓詁を知らなくてどうして学問を構築することができようか。荻生徂来のような豪快な学者でさえ、文辞については厳しく気を配っていたのだ。学問は日々精密さを増している。エセ豪傑流のぞんざいな習慣はけっして身につけてはならぬ。句読訓詁ばっかりやれというわけではないが、学問を修めるためには「精」をこそ大切にすべきではなかろうか。
諸葛孔明が「読書は大意をつかめばよい」といったとか、陶淵明が「読書はあまりくわしく解釈するものではない」といっているなどと、学問の精密さを大切に考えないエセ豪傑流を気取る輩は、優れた先人にかこつけ、その言葉の上っ面だけをとらえ、自分たちに都合よく翻訳して口実にしているだけなのである。
あれほど精密周到な計画に基づいてこと環成した孔明が、書を読み学を修めるのにゾンザイな方法を是認するはずもないだろう。凡人たちは、こと志と違って枝葉末節にこだわってしまい、そのため大意さえつかめていないのが現実である。期せずして句読訓詁を軽視した連中の欠陥が露出している。
近ごろは人心がはなはだしく忙しく、学を修めるにも事を成すにも速成を重んじ、精密さを疎かにする傾向がある。世の風潮とはいうが、これは絶対に改めるべきことである。
例えば矢をつくる場合、まっすぐな矢竹とそろった矢羽根を選び、緻密な仕上げをしなければ使いものにはならない。念入りの材料選びと丹精込めた仕事が相まってはじめて精度の高いものを生み出すことができるのである。粗製乱造の矢では、源為朝のような弓の名人でも馬に命中させることさえできない。
《一事が万事》という諺がある。学問の精密さを心がけていると、知らず知らずの間に多くの知識が得られ、多くのことが理解できる。そうなれば世に出ても万事に心配りができて、物事が順調に運ぶようにもなるものだ。
ガルヴァーニの直流電機の発見もニュートンの引力の発見も、世間知らずのぼんやりものは偶然だとしてしまうが、けっして偶然の産物ではない。常日ごろの「精」に徹した研究の習慣が身についていたればこそ、これらの大発見につながったのである。ニュートン自身もこれを「不断の精思の延長でこれを得た」と述懐している。かくのごとく、文明史上の光輝はすべて「精」の一字の変形といってよろしい。
「深」は、「大」とその趣が異なっているが、やはり修学の大きな標的である。しかし「大」なることだけに努力して「深」を忘れたら、渋滞・拘泥に陥るおそれがある。そして「正」なることにこだわりすぎて「深」の手抜きをすれば、迂闊で奥行きのないものになりがちである。
井戸は深く掘らなければ水は得られず、学問も深く修めなければ役に立たない。学問は偏狭になってはいけないが、広く浅薄になってしまうのも困る。一般的に学問の「大」を目指す人は、「深」が手薄になる傾向があるから気をつけよう。
人間の力には限りがあり、学問の海は無限である。すべての学科に対して深く到達することは不可能だ。あれもこれもと欲張っては虻蜂取らずになってしまう。深さを求めるならば、標的はおのずと専攻分野に絞られてくるものだ。みだりに「深」を求めると精神に異常を起こす場合もある。
人の天分にはそれぞれ厚薄があり、資質には強弱がある。しかし目標を定めたら、どこまでも深く深く掘り進める努力をしなければ、水脈まで到達することはできない。
もし天分が薄く資質も弱くて力不足の場合は、最初から大きな井戸を掘ろうと考えてはいけない。小さくてもよいから深い井戸を掘ろうと考えたほうがよい。
才能が乏しいと自覚している者でも、ごく小さな専門分野を設定してどこまでも深く掘り下げていければ、決して容易な道程ではないが必ず目標に到達できるのだ。そして才能豊かな人が広く深く研究した学問よりも、はるかに価値ある業績を生み出していることに気づくだろう。
たとえば、美術史を一生の仕事にしようと志した場合、「深」にいたるのは非常にむずかしいであろうが、目標を絞って狩野探幽なら探幽、葛飾北斎なら北斎ひとりと取り組むことだ。対象が絞り込まれれば、資質の乏しい人でも研究の深度は他人がなかなか及ばない程度にまでおのずと深まっていくのである。
一つの深い目標を設定することは非常にむずかしいことだが、学問の世界でも事業の世界でも、何事においても「深」の一字を忘れず、《標的》を慎重に選択し絞り込むことが大切である。
以上述べてきたことは何も奇抜なところはないが、常に「正」「大」「精」「深」の四つの標的から目を離さず、学問をはじめとしてすべての道に励めば、その人は大きな過ちなしに進むことができると確信する。
2009年6月10日水曜日
幸田露伴「努力論」を読む 第二章-2
【蛍雪の功を愉しむために】編述者■渡部昇一
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