2009年8月25日火曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第六章-2-2

【自分より秀れている人から運命の分け前をもらう】編述者■渡部昇一
 同じ貨幣には、同じ時期には同じ価値をもっている。これと同じように、去年やおととしと変わらない自分であるならば、自分が受け取るべき運命もまた同一であるはずだ。つまり、新しい自分がつくり出されていないかぎり、新しい運命を獲得することはできない。同一の自己は同一の状態をいつまでも繰り返すだけである。
 それをいつまでも繰り返しているうちに、時計のゼンマイが弛むように、その人間の活力もしだいに弛み衰えていく。
 どうすれば自己の革新ができるか。何によって自己を新たに改造できるか。
 自己によって自己を新たにするか。あるいは他者によって自己を新たにするか-----二つの道がある。
 ここに自然の石ころがある。この石は、ある形とあつ性質をもっていて、長い年月のあいだ同一の運命を繰り返していた。この石に新しい運命を与えようと思えば、この石を新しくすればよいのである。たとえば外から力を加えてつるつるに磨いたり、凹凸を装飾的に生かしたりして、建設材や置き物にして生まれ変わらせることができる。これは他方による自己改革の例だ。
 またここに医学生がいて、毎年毎年開業試験に失敗して同一の運命を繰り返していた。このままでは同一貨幣は同一価値しかないことを悟り、一念発起して猛勉強、ついに開業試験に合格した。これこそ自己による自己改革である。
 自分で発奮努力して運命を切り拓くもよし、一方、他者の力を借りて自己改革をするのも恥ずかしいことではない。
 賢者や努力家に身を寄せ心を託して働き、ともに進歩発展することは他者の《運命の分け前》をもらって自分の前途開けることだから、かしこいやり方ともいえよう。
 さほど能力があるとは思えなかった人が、ある人に従って動くようになってから、めきめきと頭角を現わしてくることがある。これは他者の力を借りて新しい自己をつくり始め、新しい自己ができ上がったことによって、新しい運命を獲得することができたのである。
 他人の力によって新しい自己をつくる方法の重要ポイントは、自分は身をあずけている人の一部分であるという謙虚な認識を持ち続けることである。その人のために働くということは、すなわち自分のために働くのと同じであると考えることだ。けっして自分の小賢しい知恵を出したり、目先の利益に気をとられて妄動したりしてはならない。
 他者によって自己を改革しようと決意したら、昨日の自己はきっぱり捨て去ることである。過去の習慣・感情を引きずっているかぎり、それは成功しない。もし、それができないのならば、他者をあてにせず独立独歩、自己の信念に基づいて、自己改革の厳しい道を独りで歩むしかない。
 樹木ならば矯めることができるが、化石が相手では不可能だ。ところで世の中には、この化石的自己をもっているような人が少なからずいる。こういう人は、他者による自己改革は断念したほうがよろしい。もし藤の木であるならば、竹に交わっても真っすぐに育たないが、蓬(よもぎ)ならば麻の中に交じって育つと真っすぐにすくすくと伸びることができる。世の中には蓮的自己の人間もまた少なくない。こういう人ならば、卓越した他者の中で自己を捨てて大きく伸びる生き方を選んでもよい。
 他者によって自己を新たにするには、何より先に自己を他力の中に没却しなければならない。浄土宗の信者が他力本願にたよる以上は、小賢しい知恵や知ったかぶりを捨ててしまうのと同じである。
 世間には、どうしても自己を捨て切れない人もいる。こういう人は自分の力で自己を改革するしかなかろう。

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