2009年8月22日土曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第六章-1-1

【一日一日の自信の堆積こそ大勇のもと】編述者■渡部昇一
 人間の勇気は、知識と同様にさまざまな性質と段階がある。
 一時的に興奮して、敢然として驀進(ばくしん)し、水火も辞せず矢玉も恐れないのも勇気の一つである。長年にわたって自分の信念を堅持し、飢えや寒さにもめげず、妻子の訴えも無視して志を遂げるのも勇気の一つである。
 「暴虎馮河(ぼうこひょうが)」(虎に素手で立ち向かい黄河を徒歩で渡る蛮勇)は小さい勇気だが、勇気の一つであることに間違いない。「克己復礼(こっきふくれい)」(己に克って礼に復る)は行き届いた大きな勇気だが、これもまた同じく勇気の一つである。
 このように、勇気の種類・性質はいろいろあるし、当然のことながらその勇気の等級・段階は一様ではない。しかし大所高所から見れば、さまざまな勇気の中でも血気の盛んなどは、人類以下の動物にもあるから勇気として尊重すべきものでもなく、また人間の現在の生活の幸せや将来の進歩向上に役立つものとはいえない。
 われわれにとって勇気が重要なのは、現在の生活をよくし、将来の進歩向上に役立つものだからで、いいかえれば、現在および将来の生活に緊密なかかわりのある勇気だけが重要なのである。
 空虚な名誉、因襲の惰性、浮薄な感情などによって発動する勇気は、勇気にちがいないのだが、価値のあるものとして尊重することはできない。真の意味において、人類の幸福を増進・発達させるために用いられる勇気こそが重要なのである。
 ではこれから勇気はどのようにして養い、身につけていくことができるのか-----これは意見の立場によって、いかようにも解釈・説明できる。道義の念を主として論じるときには、真の勇気は道義の念の確立によって得られると説明できるし、実際にもまたそのとおりである。一方、健康な身体を主として論じるときには、真の勇気は健康な身体の保全によって得られると説明できるし、実際にもまたそのとおりである。
 しかし今、最も適切なる意志の訓練の側からいえば、意志の力を養うことによって得られるともいえる。そして日々の実情に即していえば、日常の行為と意志との関係の最も緊密な場合について説明して、自分で決めて成し遂げる習慣を積むことによって得られると解釈するのが妥当であろう。
 漠然としてつかみどころのない言論は空論であって役に立たない。道義の念の確立ということは立派である。そして健康な身体の保持ということもまた立派だ。しかし、道義の念というような大づかみな話は、日常の実際の行動にどのように密着関連しているかという点では、さらに綿密に体験する工夫を積まねばならない。
 また健康な身体の保持ということが、勇気にとって大切であるのはいうまでもないが、ただ健康な身体の保持というだけでは、直接にわれわれの生活の幸福増進に役立つ勇気の育成に影響するものとはいえない。健康な身体の保持のうえに、さらにある思想やしかるべき行動がともなって、はじめて効果があがるのである。
 日常生活の実際についての工夫からいえば、まず「自分が決めたことを成し遂げる」ことだ。自分で計画し自分自身を励まして日をおくれば、生活と関連の深い勇気を確実に増進させることができる。
 いうまでもないことだが、すべて「勇気は自信から生じる」ものである。商売の勇気は商売の自信から生まれるし、学問の勇気は学問の自信から生まれる。いかに優れた能力をもっている人でも、自信のないところには勇気は芽生えない。たとえば、いまだかつて泳いだことのない人は、川を渡る勇気をもつことができない。これに反して、どんなに貧弱な能力であっても、それをもっている者は、自信のある領域だけでは勇気をもち得るのである。たとえば、山村育ちの少年は丸木橋を平気で渡るし、漁師の子供ならばたとえ小さくても荒海で楽々と船を漕ぐ事ができる。
 このようにして見てくると、勇気というのは自信を積むことによって増進されるものだということがよくわかるだろう。そして生活に深くかかわる勇気もまた自信によって生じ、育てられるということができる。商売でも学問でも何でも、何事かを実行するときに最も必要なことは、まず《自信の堆積》ということである。つまりは、何かの経験を何ほどかやってみて成功の事実をおさめ、そしてそのおさめ得た成功の事実によって自信を強めるということが、有益な勇気の育成にとって最良の方法なのである。
 しからば自信は、どのようにしたら堆積できるのだろうか。これは、「自分がやろうと決めたことを成し遂げる」ということに尽きる。「こんなことをやりたい」と決めて、それを遂行できたことが一度あると、一度だけの自信が生じ、二度ならば二度だけの自信が生じ、それが三、四、五、六度ならば三、四、五、六度だけの自信が生まれるのである。

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