2009年8月23日日曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第六章-1-2

【自分を生かすも首を絞めるもこの習慣ひとつ】編述者■渡部昇一
 些細な一例をあげると、たとえば明日から毎朝六時には開店して客を待つ準備を完了しようと決心して、その第一日が実行できたならば、明らかに一日分の自信を獲得したのである。これが数十日、数百日にわたって続けることができたら、店主の自信はしだいに堆積されて勇気は盛んとなり、少々の困難などは突破できるようになる。このような勇気の持続は人生に必要だが、この勇気は本人の性格もさることながら、《自分の決めたことの遂行》を重ねることによって《自信の堆積》ができ、その強い自信に支えられて勇気が力を増していくのである。
 自分が決めたことの遂行は、一つの事柄の一つの時点だけで観察すると、さほど重要なことには見えないが、実際には人生で有用な勇気の最も基礎的な分子であり原子をなしているのである。
 世の成功者をみると、その人の天分才気が卓越していたからというよりは、自分が決めたことを遂行するという習慣が実を結んだものであることがよくわかる。
 昨日も今日も、自分が決めたことを遂行できず、そのままいたずらに歳月を過ごしてしまうのは、人生に何ら有益なものを残さずに終わる人の共通点だ。だから、決めたことができるということは、どんなに些細なことであっても重大な価値をもっているのである。なぜならば、習慣はその事柄の価値よりも習慣の価値として尊いのであって、習慣ができるできないは、些細なことを大事にするか疎かにするかによって生じるからである。
 われわれは、どんなに小さなことでも自分で決めて、それを成し遂げる努力をするべきである。そして、この習慣をしっかりと身につけ、この習慣によって自信を強め、この自信によって有益なる勇気を確実に自分のものとしよう。そしてどんなことでも、途中で投げ出す習癖は絶対に身につけてはならない。その悪癖は自信力を壊滅させ、自信力の壊滅は勇気の枯渇につながっていく。
 しかしわれわれは、しばしば中途放棄せざるを得ない場面に遭遇することがある。これまた人生の常である。けれどもこれをくわしく観察すると、その不遂行の原因は意志の薄弱だけでなく、自分で決めてはならないことを決めたために中途放棄のやむなきにいたったものが多い。こういう場合には、根本において無理のない、必ず成功の見通しが立てられることと取り組むことだ。
 無理な計画を立てて、不遂行の習慣が身につくことを絶対に避けなければならない。これは堕落・卑屈の原因となり、はなはだしい不利益を招いてしまう。世の失敗者をみると、この習癖による挫折が原因となっている人が非常に多い。これは大いに心すべきことである。

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