2009年8月18日火曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-6-3

【一瞬の喜びから永遠の幸せまで、幸福請負人】編述者■渡部昇一
 この大宇宙に、主宰者あるいは宇宙の心のようなものが存在するのか否かは論じないが、宇宙を器と非器に分ければ、日・月・水・陸などは器の部分で、天体の運行などの活動を生じさせる原因はすべて非器の部分である。この二つが交渉しているあいだが宇宙の存続であり、この関係が破壊されると宇宙の死滅である。
 この大宇宙が存在生息するあいだには《気》が存在することを認めて、天に天の気があり地に地の気があり、水に水の気があり草木に草木の気があるとしよう。また北に北の気があり南に南の気がある。そして万物には万物の気があるとするのである。
 気と気の親和・協応・交錯・反発・相殺・相生・掩蔽(えんぺい)・などの状態----、一気の生・少・荘・老・衰・死などの様子----、一日の人の気、一日の時の気、一年・十年・百年・千年・万年の気の形態----、そして一人・一階級・一職業団・一国・一人種・一時代の気のありよう----、これら長短・大小さまざまなる種類と状態の気をつぶさに観察しよう。そしてこれを批判し、導引し、回転し、洗浄し、鍛冶(たんや)し、精錬し、それをもって小さくは一瞬・一事・一心の喜びを獲得し、大きくは広く天下万民の永遠の幸せをもたらすのが《気の道》なのである。

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