2009年5月31日日曜日

幸田露伴「努力論」を読む 1 【序】

 努力には二種類あって、一つは「直接の努力」で、もう一つは「間接の努力」である。直接の努力とは、当面のさしあたっての努力で、その時その時を力を尽くして精一杯頑張ることである。そして間接の努力とは、準備する努力であり、基礎・源泉の努力をいう。

 人間はややもすると努力の成果があがらず無駄骨に終わること嘆いたりする。しかし、努力の成果のあるなしを前もって予測し、それからやるかどうかを判断するべきではない。

 そもそも努力というものは、もともと人間が自発的に進んで始めるものであって、やめることを知らない、もって生まれた性の本然であるから努力すべきなのである。

 ある程度の努力をすれば、それに見合った結果が生まれるものであるが、それが必ずしも良い結果ばかりではない。それは、努力の《方向》が悪かったか、そうでなければ「直接の努力」だけがはたらいて「間接の努力」が欠けていたからである。

 無理な願望に対して努力するのは、瓜のつるに茄子を求めるようなものである。努力の《方向》が悪いのであり、可能性のある願望に対して努力して成果があがらないのは、「間接の努力」が欠けていたからである。どちらかというと、誤った《方向》の努力は少ないが、《間接》の努力を欠く場合が多い。たとえば、詩や歌などは、場当たりの努力(直接の努力)だけでは傑作を生むことはできない。つまり、朝から晩まで机に向って文字を百万語も書き連ねても無駄なこと。準備万端ととのった「間接の努力」を土台にしてこそ優れた詩歌が生まれるのである。この意味においては頑張りや努力の価値は低い。

 そこで世の中には、いわゆる努力勉強を軽視する人たちもいる。特に芸術の世界では、自然の生成を重んじて努力を軽視する傾向がある。これも一面真理であり、努力が万能と言い切ることはできない。古代インドの話にあるように生まれつき伎芸天(芸術の神)は天才の頭に宿っていて、気持ちよく眠っているあいだに湧くがごとく流れるがごとく傑作を紡ぎだすものかもしれない。当面の努力だけで必ず努力の成果があがるものならば、「下手の横好き」という諺は世の中に存在しない。しかし、だからといって努力を軽蔑したり排斥したりするべきではない。不勉強を支持する理由はどこにもない。

 重視すべきは《間接》の努力で、これこそ芸術の源泉となり基礎となる《準備の努力》の重要性を示している。これこそが芸術の昇華に導く「自性の醇化」「世相の真解」「製作の自在」・・・・・・を育んでくれるものなのである。これを抜きにして紙に向かって筆を執るだけの直接的努力しても無駄なことを明らかにしているのだ。

 努力というものは、たとえその成果が期待できなくても、人間の性の本然として、人の生命があるかぎり自然にそうしようとするもので、これを無視することはできない。それでもなお、努力を歓迎しない人たちもいる。それは眠りに就こうといている人間と、死を迎えようとしている人間である。この人たちは《直接》の努力も《間接》の努力も喜ばない。つまり燃やすべき石炭がなくなって、日が焔をあげることを辞退しているのである。

 《努力》は立派なことだ。しかし、人間が努力するということは、厳密にいうと人間としては《不純》なことなのである。いいかえれば、自分に服従しないものがどこかに存在することを感じていて、それを鞭で威圧しながら事を成そうという趣がある。

 努力している、また努力しようとしている、という意識を忘れて、そして自分のやっていることが「自然な努力」であってほしい。これこそが努力の真髄であり、醍醐味である。

 本書の中の「運命と人力と」「幸福三説」(以下第一章)、「修行の四目標」「凡庸の資質と卓絶せる事項」「接物宣從厚(物に接するに宜しく厚きに従うべし)」(以下第二章)、「四季と一身と」「疾病の説」(以下第三章)、「自己の革新」(第六章)の諸篇は明治四三年より四四年のあいだ、雑誌『成功』に、「着手の處」(第一章)、「努力の堆積」(第二章)は同じころに他の雑誌に、「静光動光」(第四章)は明治四一年雑誌『成功』に、「進潮退潮」「説気山下語」(以下第五章)はこの本を刊行するにあたって書き直したものである。努力に関することが多いから、本書を『努力論』と名づけた。

 「努力して努力する」--これは真によいものとはいえない。「努力を忘れて努力する」--これこそが真によいものである。

 しかしその境地にいたるまでは、「愛しむか捨てるか」という決断を身につけなければならない。そうしなければ無駄を三倍したほどの長い時間も努力しなければならないだろう。本書では「愛の道」「捨の道」を説いていない。それで努力論と題したわけである。   著者しるす
著者■幸田露伴 編述者■渡部昇一 幸田露伴『努力論』を読む 人生、報われる生き方 より



「努力」してきたつもりですが・・
成果があがって
それこそが「努力」だと・・・・・
勘ちがい

時代をこえて、未来に通じるものを
検証したいと思います

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