2009年5月8日金曜日

【年3%100年で16倍】とは耳寄りな情報で

出典:長沼伸一郎著 現代経済学の直観的方法

資本主義の成長スピード
 ではその結果宿命づけられた成長スピードというのは、具体的にどの程度のものなのだろうか。それには第二次大戦後の米国経済を一つの標準とするのが良いだろう。米国人にとっては、恐らく戦後の50年代から60年代にかけてが米国経済の最も健全だった時期であり、それがいわば「健全な資本主義社会」の標準と考えられるからである。
 大体この時期の経済成長速度は年間3%前後といったところだったが、年間3%成長というのがどの程度の数字かと言えば、実はこれはとんでもない代物である。ちょっと計算してみればすぐわかるが、要するにたかだか20数年で経済が2倍にならなければならないというのである。
 その後も二十数年ごとに2倍の幾何級数的増大を示さねばならないというのだから、単純に言って100年で16倍。空いた口が塞がらないとはこのことだが、しかし過去百年の人類社会そのものの爆発的成長は、実際こういった成長の宿命と二人三脚をするだけの規模を持ったものだったのである。
 例えばそれを裏付けるデータとして、石油の消費量が歴史的にどのように増大していったかということを挙げてみよう。石油というものが資源としての認知を受けて採掘が始まったのは比較的新しいことで、大体1850年代から60年代にかけてのことであり、これは米国で南北戦争が始まりかけた時期のことである。同時期のヨーロッパでは、ビスマルクがそろそろドイツで宰相の地位につくころであり、また日本ではこの時期は幕末動乱の真っ最中であった。
 次のグラフは、1865年から1980年代までの石油消費量を表わしたものである。

 対数目盛で描いた方が良いぐらいのものだが、実際これを見ると、20数年で2倍どころか、大体20年で4倍ぐらいの驚異的増加率を示している。大体石油の消費量というものは産業の規模を反映したものであり、実際資本主義経済というものが年に3%の成長を要求されていたとしても、それを吸収してお釣りがくるだけの拡大を、社会そのものが現実に行っていたことが見てとれる。
 しかしこの速度を今後も恒久的に維持できるなどと考えるのは、非現実的としか言いようがない。現に早くも環境問題という難題を突き付けられてしまっているのであり、逆に言えば経済の速度を遅くするメカニズムを開発しなければ、環境問題の解決などはあり得ないことになるわけである。
 環境問題の研究者は、しばしば純粋に技術的な観点で、物理的な資源を浪費しないような経済を実現すればそれで問題を解決できると考えがちである。例えば売買されるものが物質的な製品ではなく、情報というものが売買品目の主流になっていけば、石油などの物理的なエネルギーの浪費を一定レベルに留めたまま、現在の資本主義の経済システムを維持できるとの考えである。
 しかし私としてはそれに対して懐疑的であり、それは要するに使い捨て体質が物質レベルから精神のレベルに侵入してくることに他ならない。身の周りを商売人にかき回されるぐらいならまだしも、頭の中までかき回されたのではたまったものではない。精神面の環境破壊というものは、物質面での環境破壊とは比較にならないほど深刻なものになる恐れは高いのである。
 要するにもはや経済システムに抜本的に手を入れ、それを遅くするような社会学的技術体系を編み出す以外に手はないものと考えられる。ではそういう暴走的体質の中枢部には一体何があるのかということについて、もう少し突っ込んで見てみることにしよう。

「いいかげんにしなさい!!」資本主義
休み休み成長すればもう少し生きながらえるかもね



経済成長とその問題wikipediaより
経済成長は、付加価値生産の量的な拡大を示す指標であるが、経済学者の都留重人は、その意義を問うものとして、次のような逸話を考案した。ここに諸条件を同じくするA国とB国があったとする。このとき、B国のみに蚊を持ち込むことで、対策グッズの生産販売量を増大させたB国のGDPのみが増大する。こうして持ちこまれた蚊によって苦しめられたB国だけが「豊かさ」を増大させるという逆説的な結果を生じることになる。


今の世の中、そのものを現しているように思います。

つづく

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