2009年5月8日金曜日

線路は続くよどこまでも

出典:長沼伸一郎著 現代経済学の直観的方法

軍事史と鉄道
 ところで問題を少々別の視点から眺めるため、ここで少し軍事の歴史をひもといてみよう。一般に陸の上の戦争において、近代戦への移行ということは何が世界に登場したことによってもたらされたのだろうか。
 「それは銃の登場によってである」という答案に対しては、正直言ってあまり良い点はつけられない。近代戦の定義にもよるかもしれないが、むしろ陸戦に本当に決定的な革命をもらたしたのは、鉄道の登場である。
 鉄道の登場以前の時代においては、物量戦というものは事実上不可能に近いことであったと言える。例えば陣地戦においてそれこそ山の形が変わってしまうほどに連日朝から晩まで砲撃を加えるなどということは、それ以前においては砲弾の補給が到底追いつかず、せいぜい軍馬が背中に背負って運んできた分を撃ち尽くせばそれで当分砲撃は中止、ということにでもならざるを得なかったのである。
 この有様ではほとんどの近代兵器--それはほとんど例外なく大量の弾薬を消費する--の運用は不可能であり、機関銃ですら戦場での使用は不可能な兵器と見なされて試験場の倉庫にしまい込まれたかもしれない。
 実際鉄道の登場以前には、戦場に展開できる軍隊の大きさには厳しい制限があると信じられており、それは補給に関してこうした限界があったからである。しかし鉄道の出現はこの限界を取り払ってしまった。そのため理論上いくらでも大きな軍隊を戦場で活動させることができるようになったのである。さらにまた鉄道は、軍隊を戦場から戦場へ迅速に移動させることを可能にした。その結果起こったこととは一体どんなことだったろうか。
 鉄道による「補給革命」以前の時代においては、軍隊の補給(主として食糧)は基本的に現地調達に頼っていた。つまり軍隊が行軍の途中で食糧その他を徴発しながら前進するのである。それができないような場所の場合、馬車で物資を輸送したり戦争前からあらかじめ前線近くに準備しておいた食糧倉庫を利用したりといった方法がとられたが、これはあくまでも補助手段に過ぎない。要するに現地徴発で自活できる限度を越えたサイズの軍隊は活動できないわけで、これが戦場に展開できる軍隊の上限を決めていたと言ってよい。
 このため、例えば8万が軍隊のサイズの上限だとした場合、敵も味方もその限度の枠内で軍隊を編成し、指揮官の能力や兵の練度・士気などといった、兵力の数以外の要素で優劣を競い合ったのである。さらにまた、たとえ本国に大きな兵力があったとしても、それをこの限度を越えて戦場に投入することはできない。つまりそういう余剰兵員はどうせ無駄になるのだから、兵舎に置いておくより当面は農作業でもさせておいたほうがよほど国のためになる。
 ところが鉄道の輸送・補給能力がこの限界を突き破ってしまったとなると、これらは全部ひっくり返ってしまうことになる。まず第一に、同じ兵力で相手側と対峙するという条件が当面取り払われ、戦場では数の競い合いが始まる。そのため指揮官の能力や兵士の練度が少しぐらい劣っていたとしても、こちらが2倍3倍の兵力を鉄道で持ってきてぶつければ、その程度の質の優劣は数の力で圧倒して押し流すことができることになり、数量が勝敗を決める決定的要素となっていくのである。
 こうして前線がいくらでも兵力・物資を要求するようになると、それに対する限界を作り出すのは国家の全体的な体力、つまり動員可能な兵力や生産可能な物資の数量である。つまり前線で数が競われるようになったため、国家は持てるすべてを片っ端から前線に注ぎ込まねばならない羽目に陥ってしまったわけである。
 このようにして、鉄道のもつ能力は戦争を以前よりも一層苛烈なものとしていった。もっとも、戦争を苛烈なものにするという点では鉄道の登場以前に、ナポレオンとフランス革命精神の熱狂の組合せが一時的にそういった戦争を作り出してはいた。しかし鉄道はそれをいつでも、どこでも普遍的に苛烈なものに変えていったのである。砲弾の消費量だけに注目しても、鉄道は明らかに戦争そのもののスケールアップをもたらした。
 そして鉄道の登場とともに、戦史の中からはロマンの匂いが消えていく。ビスマルク時代のドイツ陸軍には鉄道の影響が最も強く見られるが、この時期のドイツ(プロイセン)は参謀本部なるものを発明して軍事史の中に送り出した。
 そこにはナポレオンのような天才の居場所はない。新参者たる彼ら参謀将校たちは本質的に事務屋であり、前の時代にはせいぜい帳面を片手に荷馬車の間を歩きまわるような連中として軽蔑されるような存在に過ぎなかった。
 しかし輸送計画表を持って鉄道網を掌握するに及んで、彼らは突然戦争の主役の地位に踊り出る。そして英雄たちを過去の遺物として脇役へと押しやり、戦争全体を数量に基づく一個の非ロマン的な管理技術体系に仕上げていく。
 そして戦争と軍隊を変質させたもう一つの要因である徴兵制度(これを近代で最初に採用したのはフランス大革命におけるフランス軍だったが)と相俟って、鉄道の登場以前と以後ではその雰囲気はがらりと変わる。
 それ以前には伝統社会の中の名誉の衣をまとった戦士階級や貴族的将校団が戦争の主役であったが、これ以後は大衆から徴集された兵士にその座を譲ることになった。同時にそれは国民皆兵という制度をもたらすこととなり、戦士階級に指揮される一握りの人間だけが戦争に直接参加するシステムではなくなった。
 また、鉄道によって苛烈化した前線の要求を満たすため、銃後の人間も軍需品生産に残らず動員し、国家がそれを組織する軍国主義社会へ移行することとなった。そしてその移行のためには伝統社会の残滓ほど邪魔なものはなく、国家は文字通り伝統社会というものをブルドーザーで破壊していかなければならなかったのである。

鉄道は物量戦を制するかなめ
事務屋がロマンと伝統破壊する


不可能を可能にしたのです。限界を突き破って、全部ひっくり返してしまいました。

つづく

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