2009年5月12日火曜日

速度がプラスだというならまだしも、加速度がプラスというのでは

出典:長沼伸一郎著 現代経済学の直観的方法

気違いじみたサイクル
 実際このサイクルを恒常的に繰り返すということは、ちょっと気違いじみたことに見えなくもない。事業拡大の新兵器を購入したデパート系企業の側は、それによって翌日から日用品の大増産に乗り出すわけだが、もし翌日もまた各家庭において給料の一部が貯金されたならば、同じサイクルが次の日にもう一度繰り返されなければならない。つまり増産が開始されるかされないかのうちに、もう次の新兵器を買い込まねばならないのである。(もっともこの言い方はやや誇張なのであって、実際には何年かごとに装備のまとめ買いをするということを皆が交代でやっているから、平均するとそう見えるに過ぎないのだが、それにしても凄まじいことに変わりはない。)
 昔から寓話に、うっかり妙な魔法や機械を手に入れたばっかりにとても消費しきれないほどの物資を後から後からそれが生み出してしまい、止める方法がわからなくてとうとう倉庫が壊れてしまうという話があるが、現実はそれ以上である。
 つまりこれでさえ、単に生産速度がプラスのまま止めることができないという話に過ぎないのだが、われわれの話ではプラスのまま止めることができずにいるのは生産の「加速度」なのであって、ただでさえ暴走を続ける速度計の針は際限なくじりじり上昇を続けてしまう。つまり今の例だと、暴走を続ける生産機械そのものが自己増殖するようにどんどん巨大化してしまうわけである。
 次々に生み出されるそんな物資を、飽食していようがいまいが消費し続けねばならない消費者の側も大変だが、それより前に経営者の側も、よほど事業拡張の意欲に燃えている人物でなければ勤まらない。実際前の時代ののんびりした経済社会に愛着を持っている人にとってはこれではたまったものではなかろう。際限なく事業は拡張せねばならないわ、銀行から借りた分の金利を払わねばならないわ、おまけに誰もが侵略的体質を身につけてしまうわ、本当にいいことが起こらない。
 実際この状態は、それを戦争だと思って眺めるならばそれなりに理性的であるが、「平和状態」として眺めるならば狂気のレッテルを張られても仕方なく、速度がプラスだというならまだしも、加速度がプラスというのではこれは正気の沙汰ではない。
 われわれの現在生きている社会が現実にそうなっているというのは、いささか信じ難い気もするが、しかしこれは本当のことなのである。現在の日本経済の場合、消費と設備投資の比率は極めて大雑把に言って4:1程度である。つまりまるで拡大が自己目的化でもしているように、経済全体の20%近くの部分が、もっぱら生産設備の更新のためだけに充てられている驚くべき現実がここにあるのである。(先ほどの金貨の話だとこれは9:1という値に設定してあったのだが、現実は実にその2倍である。)
 これは別に日本だけの突出した特異な現象ではない。多少の幅はあるものの、現代のうまく行っている資本主義経済なら、大体これは標準的な数字と言ってよい。そしてまた、現代の半導体産業などに携わっている人間にとってはこれはちっとも驚くべきことではない。
 例えばLSIのメモリーなどというものは、3、4年ごとにビット数の大きなものが製品化される。そしてビット数の大きなものを作る製造技術というものは、それまでの技術の延長でできるというわけでは必ずしもなく、しばしば質的に新しい技術を導入しなければならない。
 当然ながら、製造用機械にしても今までのものは全然使うことができず、その都度今までの機械をまとめてお払い箱にして、全く新しいものを導入しなければならない。そしてそれらの超精密加工装置というものは、どれもこれもとんでもなく値の張る代物である。
 そのため半導体産業というものは毎年毎年驚くべき巨額の設備投資を連続的に続けている。先を見越してそういう設備投資をしなければ、苛烈な競争にすぐ負けてしまうのである。少なくとも現在の半導体産業を見ている限り、毎年経済全体の2割近い部分が製品それ自体ではなく「製品を製造するための製品」に充てられているという事実は全然驚くほどのこともない。
 そしてこの種の設備投資というものは、本質的に経済が前よりも拡大するとの前提のもとに行われるものなのであって、来年は経済は停滞するらしいから物を作っても売れないだろうという予測が出てきたならば途端にカットされる運命にある。
 換言すれば、現代資本主義経済が現状の高度を保つ際の浮力は、このうち5分の4は飛行船のように船体自身が発生する浮力であるが、残りの5分の1はいわば翼の揚力によるものであり、速度ゼロでは全く発生しない性格のものである。つまり現在の状況では、経済が現状の位置で静止しようとして前進を止めたならば、即座に浮力の5分の1が消失してしまうことになる。
 昔の経済は船体自身の浮力だけで浮いていられたのだが、現代の資本主義は飛行機と同じく「空気より重い」乗り物である。それにしても浮力の5分の1が突然失われるとは恐るべき事態であり、積み荷や人を窓から投げ捨てて重量を20%ほど軽くしないことは墜落は免れないだろう。



消費者も大変×経営者も大変+誰もが侵略的体質で大変=いいことなし

つづく

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