2009年5月13日水曜日

貯蓄は当たり前だと思っていました

出典:長沼伸一郎著 現代経済学の直観的方法

意外な一致
 経済全体の5分の1もがそういうもので占められているというのは、常識的な感覚からは信じ難いことのようにも思えるが、この5分の1という数字自体に関しては、われわれの日常生活からも思い当たる部分がある。それは貯蓄率の問題である。
 浪費癖のある人を一応除外して考えた場合、給料の20%ほどを消費に回すことなく貯金に回すというのは、比較的常識的な話である。ここで前の金貨の流れを思い出してみよう。
 あの時、貯金に回された金貨は「経済世界のローカル線」に乗って結局設備投資=新兵器購入に回されていた。それによって結果的に夕方に合計100万の金貨が電車を下っていくことが可能となり、定常的な流れが維持されていた。
 つまり貯蓄の総額と「新兵器購入額」は一致していなけばならない道理なのだが、ここでもし国民の一人一人が大体、稼ぎの5分の4程度を消費に回し、5分の1程度を貯蓄に回しているとすれば、ちゃんと辻褄が合うのである。
 この現実は、よく考えれば明らかなことではあるのだが、それにしても両者の感覚的なギャップの大きさはどうだろう。給料の5分の1を貯金として銀行に預金するというのは、割合に普通で常識にかなったことのように思われる。それに対して経済の5分の1が、経済を加速度的に超高血圧にしてしまうような設備投資に振り向けられているというのは、全く気違いじみて現実離れしたことのように思える。しかし両者は分かち難く結びついているのである。
 そもそも貯蓄を行なうことを当たり前だと思っていることが、最初から間違っているのかもしれない。少なくとも経済メカニズムの理屈からすれば、人々が貯蓄に励むようになれば、経済社会は超高血圧かの二者択一を迫られる宿命を背負うことになるのである。
 そして銀行という組織は、裏庭にもぐり込もうとした金貨を再び誘い出して経済社会の中に戻す作用をするという点で、確かに貧血症状に対する救世主ではあったが、その代償として経済は超高血圧症状を強いられる羽目になってしまったというわけである。

貯蓄と設備投資は分かち難く結びついているのである

つづく

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