2009年5月14日木曜日

「公定歩合が上がりました」 それがどうした

出典:長沼伸一郎著 現代経済学の直観的方法

経済政策当局の目から見ると・・・
 エコノミストたちが「設備投資」というものに多大の関心を寄せるのはこういった点によるわけだが、さらにその敏感さという特性がこれに対する期待も警戒も大きくしている。つまりこの、浮力の5分の1を担う設備投資というものは、将来の期待などに左右されてちょっとしたことで非常に大きく変動するからである。
 これに対して残りの5分の4を担う消費の側は、そう急激に大きく変動するものではない。ブームでも来れば確かに人々はどっとデパートに押し寄せて物を買っていきはするが、せいぜいそれは今までの1.1倍とか1.2倍とか、そういった程度のものでしかない。
 大体先立つものがなければ、物を買いたくても買いようがないわけで、給料の倍額を借金してまで消費に注ぎ込むという人はあまりいない。要するに消費が1か月かそこらの間に2倍3倍にはね上がるということはなく、それは長い時間をかけなければ伸ばしていくことができない。
 ところが設備投資の方は違う。ある製品を作れば大儲けができるという噂が流れると、しばしば話を聞いた人はタクシーに飛び乗って製造機器メーカーに突撃していく。この場合はもう金があろうがなかろうが問題ではない。そんなものは足りなければ銀行から借りてくれば良いのだし、また見込みがあれば銀行はそういう巨額の金を本当に貸すのである。
 そういう具合だから、設備投資の方はたかだか1か月の間に2倍3倍になるなどというのはさほど珍しいことではない。つまり不安定さの代償として、非常に立ち上がりが良いのである。そして経済政策を運営する立場から見ると、そういうダッシュ力というものは極めて価値がある。ちょうど飛行中に翼の迎え角を変えるようにして、自在に高度を上げ下げできるというわけである。
 一方設備投資というものが銀行から金を借りて行なわれている以上、銀行も無利子でお金を貸してくれるわけではない。どうしても金利という重荷を背負わされてしまうため、特に経営者が設備投資をやろうかどうしようか悩んでいる場合、金利が安いか高いかは意志決定に大きな影響を及ぼすことになる。
 金利がただ同然に安ければ、派手に借りまくって盛大に設備投資を行なうこともやり易いというものだし、逆に高利貸も驚くような高い金利では、事業がいったん蹉づくとたちまち首でもくくらねばならない羽目に陥るから、誰も怖がって設備投資をしなくなる。
 これは政策当局にとっては極めて利用価値の高いことである。つまりそういう貸し出し金利というものは、その元栓を握っていることで政策当局がかなりの程度コントロールできるのである。いわゆる「公定歩合」というのがそれで、これこそ経済政策のスロットル・レバーである。
 このスロットル・レバーは政府が直接握っており、しかもそれは設備投資という極めて立ち上がりの良いエンジンにつながっている。実際これはコントロール機構としては極めて効率が良い。
 テレビのニュースで、公定歩合が上がりました、などというのを聞いていると、それがどうした、とつい言いたくもなるのだが、実際なぜそれが経済社会にとってそんなに重要なのかということは、企業がそれだけの巨額の資金を現実に借りているのだという基本認識がないとなかなか理解できない。
 19世紀的な戦争においては、とにかく鉄道がすべてを支配していた。決定的な場所に大量の兵力・物資を際限なく注ぎ込むことができさえすれば、他の不利な条件など押し流してしまえるからである。
 現代のビジネス社会に生きる人間たちの大部分も、大量の資金投入によってできないことは何もないと信じているだろう。そうだとすれば、やはり彼らにとっても鉄道網=金融は何にも増して重要な問題である。彼らにとっては、現場の人間たちの地道な努力で物事を解決しようなどという考え(要するにわれわれ部外者が「健全な経済活動」と考えているようなもの)は、物量作戦を否定して一定の兵力で勝利を得ようとする、前近代的な用兵思想に見えるに違いない。
 またそういう用兵思想のもとでは、鉄道網の輸送効率が向上するということは、ある地域での交戦でどの程度の存在を相手に与えたかなどということより、作戦上遥かに重要な意味を持つ。つまり彼らは「公定歩合が下がった」といニュースを、鉄道網上の障害が減って輸送・補給効率が向上したと捉えているのである。

「公定歩合」極めて利用価値の高い、経済政策のスロットル・レバー

つづく

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