2009年7月19日日曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-1-1

【時間の支配から逃れられないがゆえに精いっぱい生きる】編述者■渡部昇一
 同じ海であっても、朝には朝の光景があり、夕暮れには夕暮れの光景が現われる。
 夜明け---水面のもやが薄青く流れて、東の空がしだいに明るくなる。やがて空半分の雲が朝焼けをし始めると、紅に、そして紫に美しく輝いてくる。そのとき一筋の長い金色の光線が、みはるかす水平線の頂から閃くように、まるで火箭を天に射るように迸り出る。金色の光線は、みるみる二本三本となり、四本五本六本と増えるにつれて、まるで大きな火竜か朱蛇のように踊り、巨大な溶鉱炉から黄金があふれ出んばかりだ。
 一瞬、真っ赤に溶けただれんとする大日輪が、蒼い波のあいだからにじり上がる。混沌たる世界はたちまち消えて天地は一気に開かれる。いわゆる「水門開」である。夜の闇にうごめいていた魑魅魍魎(ちみもうりょう)どもが退散すると、生き物たちはもちろんのこと、生命のない岸打つ波や磯の岩までもが歓喜の声をあげているかのように思われてくる。これが朝の海の姿である。
 夕暮れ---太陽が沈むと、西天の夕焼けの紅が色を失い、あたりは薄ぼんやりとしてくる。消え残る光は、刻一刻広がってくる薄黒い雲の幕に包み覆われると、陰鬱の気が海原の一波一波に乗ってくるようで、そよぐ風さえ悲しそうだ。
 水と天とは、憂苦に疲れ果てた身体を自ら支えかねたように、お互いに力を失った身を寄せ合いもたれ合いしながら、ついには死の闇の中に消えていこうとする風情だ。じつに哀しげな寂しい光景である。
 海は本来は無心である。その夜明けも夕暮れもまったく同一であるはずなのに、現れる姿は時々刻々異なっている。同一でありながら、しかも常に同一であり得ないのである。これは海だけに限ったことではない。この世に《時間》というものが存在する以上、同一の物というものは存在しない。
 ここに一本の松の木がある。その松は種子から苗となり、苗から幼樹となり、幼樹から成長を続けて成樹となる。そしてしだいに老いて、ついには枯れてしまう。成長して変化してづけているかぎり同一ではありえないのだ。昨日の松は今日の松と同じではないし、今年の松は去年の松と同じであるとはいえない。
 すべてのものは、この松と同じであり、《時間》がなくて存在するものは、この世にはない。すべてのものは、《時間の支配》を受けていて、それから逃れることはできない。
 ある時のある物は「ある時間をもって割ったある物」(割り算)であり、ある物の始めから終りまでは「ある時間を掛けたある物」(掛け算)といえる。
 黄金(トパーズ)は黄色の宝石である。この宝石も非常に長い年月を経ると、しだいに色を失うという。鶏血石は鶏の血のような赤く美しい斑紋をもった中国の貴石であるが、これもまた十数年もたつと赤い色が暗黒色を帯びるという。このように寿命の長い鉱物でさえも、動植物と同じように時間の支配から逃れられないのである。
 いっさいの物はそれ自体の例外がなく、時々刻々と変化を続けている。それだけではなく、太陽にあぶられたり風にさらされたり雨に打たれたり、外界からさまざまな力が加わってくるから変化にスピードがついたりする。
 もっと大きな観点に立って考えれば、いつかは太陽だって光を失うだろうし、海もまた水が涸れて底を現すときだってあるかもしれない。
 結論をいえば、世間いっさいの相(姿)は《無定》をその本相とし、《有変》をその本相としている。しかし《無定》の中に一定の常規があり、《有変》の裏に《不安》の通則が存在していることも真実である。
 すべての物がこうである以上、人間だけがこの法則から逃れるわけにはいかない。人間は黄金と違って生命があり、松と違って感情や意志があり、海と違って万物に対して過去・現在・未来につながっているのである。
 人間の結びつきは、きわめて複雑に交錯しており、自体から他体に及ぼし、他体から自体に及ぼし、自心から他心に及ぼし、他心から自心に及ぼし、自体から他心に及ぼし、他心から自体に及ぼし、自心から自体に及ぼし、自体から自心に及ぼし、自心から他体に及ぼし、他体から自心に及ぼし、自体から自体に及ぼし、自心から自心に及ぼしている。ことほどさように、それぞれが多様に交錯し、縦横にからみ、日々に変化し続けて、生れてから死ぬまでのあいだ、同一人でありながら同一でいられないのだ。その変化はきわめて多様であり、急であったり激しかったり、また大きかったりする。
 変化して定まった形を保ちえないのは、人間はもとより、無機物有機物を問わず、すべて同じ条件の下にある。そしてまた、変化の中に不変があり、無定の中に有定が存在していることも事実である。海の朝が朝の光景を見せ、夕暮れが夕暮れの光景を見せるように、人間もまた生まれてから死んでいくまでのあいだに、ある筋書きに従って、しだいに成長し、しだいに老いて衰え、やがて死んでいくのである。

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