2009年7月24日金曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-1-5

【だから彼らは天下の英雄になりそこなったのだ】編述者■渡部昇一
 《昂ぶる気》も《張る気》の子気として生じる。
 張る気が逸る気に変化しないで、なんとか張る気を保っていると、その結果としてそれなりの功績があがる。その場合、その人の器が小さかったり気質に偏りがあったら、自然に昂ぶる気に変質してゆくようだ。 
 昂ぶる気の表われ方として、自己主張がとめどなく続いて他人を圧倒してしまうことが多い。一冊の本を読むとすれば、半分も読まないのに全部理解できたというし、人の意見も全部聞かないうちに批判したりする。十万、二十万の金を手に入れると、百万、千万の金を稼ぐのはわけもないことだと豪語する。
 世の中の半端な半英雄や半聡明な人間は、すべてこの昂ぶる気の持ち主だから大成することはできない。ひとたびこの気が生じると、張る気のはたらきが正常に作用しなくなってしまう。たとえていうと、南海において潮が満ちてくるとき強い南風が吹くと、いわゆる《潮ぐるい》となって正しい《潮信(潮時)》が失われてしまうのに似ている。規則正しい本来の進潮(張る気)に時ならぬ南風(昂ぶる気)が乗ってしまうと、天の運行さえ狂いが生じてしまうのである。このように、《張る気》のあとには《昂ぶる気》が生じやすいことを知らねばならぬ。

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