2009年7月31日金曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-2-5

【不毛な気ほど時と場所を選ばない】編述者■渡部昇一
 第五に美術や音楽など「芸術に宿る他人の強大な張る気」によって、《張る気》が生じる場合がある。これはとくに張る気だけが呼び起こされるのではなく、人間には共鳴作用のような心理があるから、甲の萎えた気は乙の萎えた気を誘発し、丙の散る気は丁の散る気を誘起する。このように多少によらず、ある人の気は他のある人にある気を起させるのである。
 狂気は・散る気・凝る気・戻る気・暴ぶ気・沈む気・浮く気など、あらゆる悪気を複雑に醸し出し、時と場所を選ばず現れるから悪気の最たるものだ。しかも伝染感染するから始末が悪い。狂気までにはいたらなくても、悪気はすべて善気よりも共鳴作用が強い。世間には善良な人間より不純雑駁な者が多いから、賢良なことより愚劣なことが俗衆に歓迎されるのとよく似ている。
 多人数の集会というのは、どちらかといえば優良な人よりそうでない資質の人のほうが多く、気が偏った二、三人の突飛で狂猛な言動に引きずられて共鳴作用を起こすことがある。こうして一つの悪気、一つの狂気が満場を覆って、善気は圧しつぶされてしまう。とくに《暴ぶ気》は、悪気の行き着くところでもあるので、容易に共鳴作用を各種の気に対して発しやすい。
 凝る気も一変すれば、暴ぶ気になる。勇猛なる武士が悪鬼羅刹のようになることを思えば理解できるだろう。凝る気の反対の散る気も、暴ぶ気になる。街中でつまらないことから取っ組み合いをする手合いがこれである。逸る気もまた暴ぶ気になる。軽挙妄動して失敗するのは、多く逸る気が一転したものだ。戻る気はもとより暴ぶ気の念いりに陰性のもので、まるで釣り針のモドリのようにバラの棘のように始末が悪い。昂ぶる気も挫折して一転すれば暴ぶ気に変化する。
 この他にも暴ぶ気と一脈相通じる気も多いから、よからぬ人がたくさん集まる会合には気をつけることだ。ややもすると、よくない気が一気として集まり、愚かな行動を引き起こす。善気の共鳴作用は少ないのに悪気はたちまち伝播する。ただ無意味な愚挙ならばまだしも、ある悪い意図をもって扇動されると、恐るべき暴走が始まる。昔の奸雄は、これら変転する悪気を巧みにとらえて方向づけをし、共鳴作用を起こさせて国を乗っ取ったりしたものである。

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