2009年8月27日木曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第六章-2-4

【昨日の自分を斬り伏せ新しい自分を生きる】編述者■渡部昇一
 自己を新たにする第一の工夫は、新たにしなければならないと信ずることのために《古いもの》を一刀の下に断って捨て、跡形もなくしてしまうことである。
 たとえば畑で野菜をつくる場合、雑草を根こそぎ除去しなければならない。自分の土地に生えたものでも、古い邪魔なもの(雑草)は敵である。雑草を根絶やしにしなければ野菜の種も播けないし、また播いたところで育たない。
 今まで慣れ親しんできたことは、思想でも習慣でも捨てがたいものだが、未練を残さず弁解もせずに捨ててしまおう。自己を新たにしようとするものは、昨日の自己に媚びてはならない。去年の自己は今年の敵であるというぐらいに考えを切り替えることだ。
 たとえば食いしん坊で胃病がちだったら、貪食の悪習を切って捨て節食を心がけることだ。貪食に未練を残して、運動を多めにやるとか胃薬を飲めばよいなどと理屈をつけても駄目である。これはあたかも、畑の雑草を抜かなくても肥料さえ多めに施せば野菜は育ってくれるだろうという誤った論法によく似ている。
 従来と同じ身体行動を続けていれば、従来と同じ身体状態のままであるのは当然のことである。従来と違った身体状態を望むのなら、従来と同じ身体行動は仇敵のように斬って捨てることだ。従来と反対の結果が欲しかったら従来と反対の原因を播くしかない。
 昨日の自己さえ斬って捨てさえすれば、明日の自己に胃病はないのである。貪欲と健胃剤とは雑草同士の絡み合いなのである。この両方を捨て去れば健康体は自然と得られる。
 胃病を嘆いている人を観察すると、多くは貪食家であり乱食家・間食家・異色家か大酒呑みである。
 不健康な人が、健康や衛生について神経質になり歯磨きやら石鹸のような細かいことに気を使ったり、間食が変形したような薬をなめたりかじったりしていること自体が非衛生の極みである。それより酒をやめるとか、煙草をやめるとか、不規則な生活を改めることのほうが、はるかに健康への近道である。
 自分の生活状態を変えれば、自分の身体状態も必然的に変化する。激変を与えるのだから心身ともに楽ではない。相当につらいけれども、これを乗り越えなければ永久に自己改革は不可能である。
 よい医者の指示に従い、自己の生活態度を変えてもなお病気が治らない場合は、すでに自分の活力が消耗しているのでやむを得ない。しかし、ほとんどの人はそうではなく、自己の生活状態を改革できず、昨日までのやり方に未練を残して古い運命につきまとわれて苦しんでいるのである。
 身体が弱くても事が成せないわけではない。身体が弱くても意志さえ強ければ、一日の身あれば一日のことは成せるのである。

 従来の自己に不満を感じるのなら、従来に自己の状態を改めるしかない。理屈をつけて昨日の自己を保護弁護しながら、しかも結果だけは昨日よりもよいものを得ようというのは虫がよすぎる。
 決然として古い自己と訣別し、大きく生まれ変わった新しい自己を発見しよう。
                                (了)
ウラ・アオゾラブンコより【幸田露伴】

0 件のコメント:

コメントを投稿

連山・ブログ衆・(未)