2009年8月6日木曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-3-2

【気のリズムに乗ることが人生成功の秘訣】編述者■渡部昇一
 境遇の変化によって生じる《張る気》は、善変と悪変とでは性格がかなり異なる。
 善変によって張る気が生じるのは《元動》であり、悪変によって張る気が生じるのは《反動》である。一方は単純な自然であり、一方は複雑な自然である。そして方や天の法則であり、方や人情である。だから善変で生じる張る気は持続性があり、悪変によって生じる張る気は一時性である。
 明の大軍が朝鮮に駐屯する日本軍を襲ったとき、勇敢なるわが軍は苦境の中で気を張り大いに奮い立った。しかし頭脳明敏なる小早川隆景は「わが将兵は土を食っては戦えぬ」といったという。このときの張る気は一時性のものであって、持続性がないから恃むに足りずと見抜いていたのではないか。
 厳密ないい方をすれば、逆境に生じた張る気だけが一時性なのではなく、張る気に限らず気というものはすべて一時性であって、持続性のあるものは少ない。ここでいう一時性とは、その中でも急速に消散し変化してしまうものをいうのである。
 たとえば海の潮は、毎日二回ずつ進潮(上げ潮)となり退潮(下げ潮)となる。進潮と張る気とを見比べれば、その姿はまったくよく似ている。進潮は始まりから終わりまで五時間ほどのあいだを時々刻々と進み満ちていく。満ち尽くせば《潮止まり》となり、今度はそこから引き返して退潮となるのだから、せいぜい五時間ほど持続するにすぎない。一昼夜のあいだについていえば、こんなものである。
 人間の張る気にしたところで、一昼夜でいえば頑張ってもせいぜい十六時間持続できるかどうか。二〇時間から二二時間、あるいは丸ごと一昼夜立って頑張れるという極端な人もないではないが、張る気はついにある時になると衰え尽きて、弛む気がしだいに生じてくる。しかも大多数の人たちはいつも気が雑駁であって、純粋な張る気を短時間でさえも保持できないのがふつうである。一日のうち二、三時間も張る気を保持できるのは、敏腕の実業家か優れた学者ぐらいではないだろうか。これが現実であって、一定時間で張る気は尽きるものである。
 ひと月を単位とすれば月齢第七、第八ころから潮は日に日に高まり、第一五、第一六にいたるまではしだいに増大する。その増大の極点にいたるには七日間ほどあるが、それを過ぎればしだいに減少して七日間ほどして今度は減少の極点に達する。この増大に向かう潮がすなわち張る気の姿であり、減少に向かう潮がすなわち弛む気の形である。いいかえれば、ひと月のうち七日ほど張って七日ほど弛み、そしてまた七日ほど張って七日ほど弛むのだから、潮はひと月に二回ずつ張るけれど、持続するのはせいぜい七日間だけということになる。
 これと同様に、人間の張る気も持続する時間にはおのずと限度がある。象徴的な現象を一つあげれば、女性の身体において月ごとに潮の動きと同様の神秘な作用が行われている。その月の作用の去来に応じて身体状態に満ち欠けがあり、精神状態にも微妙な影響が生じるのである。身体によって精神状態が変化すると同時に、精神によって身体状態が変化するわけだが、これは海の潮の張りに持続期限があるように、人間の気の張りにもまた持続期限があることを示している。
 このように女性の身体において、ひと月サイクルで小さな満ち欠けが行われているということは、大自然が厳然たる法則のもとに人間を支配していることを認めざるを得ない。男性には女性ほど明確な法則に基づいた身体の変化が見られないが、生理・心理の研究が進んだら、女性同様に自然のリズムが男性の心身をも支配していることが明らかになることであろう。昼があり夜があり、目覚めがあり眠りがあり、時間が流れてしだいに老いて衰え、そして最後には死んでゆく。これは男も女も同じ道筋を同じリズムでたどっているはずである。
 人間だけには限らない。生き物はすべて一定のリズムに従って、ある時は発揚し、またある時は沈衰している。とくに人間の生活においては、心身の《リズミック・ムーブメント(律動運動)》を把握して、張る気・緩む気の持続・転換を認識しておきたい。
 順境において自然に生じた張る気であっても、なかなか持続できないものである。ましてや逆境において生じた張る気を長持ちさせることはむずかしい。樹木をやせた土地から肥沃な土地に移動してやれば、善変するわけだから当然勢いよく生長する。反対にやせた土地へ移し変えられたら悪変だから衰えるのが当然だが、余分な小枝や葉をのぞいたりまめに手入れをしてやると、新たに葉を出し枝を生じて気を張る勢いを示す。しかしこれは、人為的な助けによるもので、その樹木がもともと蓄えていた養分が使い果たされれば衰えてしまう。
 当然のことながら人間も同じで、逆境・悪変における気の張りは、順境・善変の場合に比べれば、どうしても持続力においては遠く及ばない。

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