2009年8月10日月曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-4-3

【天の法則とともに在る気紛れな心の客】編述者■渡部昇一
 心と身体を別物として考えるのは誤りであるが、心と身体を同一のものと考えるのもまた正しくない。いうならば心と身体は「一つであって二つ」、そして「二つであって一つ」なのである。
 われわれが眠ったり目覚めたりするのは、眠りたいと思って眠るときもあるし、目覚めたいと思って目覚めることもあるが、また一方、眠りたいと思ってもいないのに自然に眠ってしまったり、目覚めたいと思っていないのに自然に目が覚めてしまうこともある。
 われわれが目覚めて精神作用を生じて、何かを開始しようとする場面を想定してみよう。この場合、あることを思いつき、またあることをやろうと思って目が覚めたのではなく、目が覚めたから、あることを思い、あることを始めるということも少なくない。つまりは、自然に目が覚めたから精神活動が始まったということもあるのだ。
 前夜寝る前に、明朝五時には目を覚まして猟に出かけようと考えたり、あるいは六時に起きて原稿を書こうと思って、そのとおり実行できることも少なくない。一方このように精神に命令されなくても自然に目が覚めることもまた少なくないのである。このように自然に目覚める場合は、その人の精神(自意識)作用が身体に対して開始されたというより、その人の身体、いいかえれば血液の運行状態によって睡眠が覚醒に切り替えられ、精神作用が開始できる状態にされたといったほうがよいであろう。
 《夢》というのは、心と身体の関係状態を最も明らかにしている。夢はいうまでもなく精神上の過程である。受・想・感情・記憶・知慮・意識などが、不完全ではあるがはたらいている。こんな夢を見たいと前もって希望しても見られるものではない。寝る前に、このような精神活動をしようと期待しても、その夢は現れてはくれない。自分の精神の中の出来事でありながら、夢はある夜、期せずしてやって来るものである。
 夢の中の出来事については、ある程度解釈することは可能であるが、なぜその夢を見たかについての説明は困難である。夢は本人の自由意思で見たいときに見、見たくないときに見ないのではない。夢になって現れたものは自分の心から出てきたものにちがいないのだが、それを夢見させた理由は外から来ている。
 物質の原理・法則からいえば、あらゆる事物の発生・存在・変化・運動にはすべて力が必要である。力には力の要因が必要だ。
 夢というものは測ったり計算したりすることは不可能だが、明らかに精神過程の一である以上は、精神を支持するべきある力によって生まれ存在していることは間違いない。精神の活動は血液の消費によって起こされ、血液の供給が精神の活動を支えている。この理屈から考えると、夢見るという精神作用は、たとえ軽微な活動にせよ血液との連携によって成立しているといえる。
 夢見るときの血行状態を考察すれば、脳に向かって流入する血液がしだいに増える夜明け、すなわちこれからまさに完全なる精神活動が開始されようとする目覚め前、その準備状態の中で血液が自然のリズムで脳に注ぎ込むとき夢が現れることが多いようだ。そしてまた、まさに眠りに入ろうとするとき、すなわち脳が軽微な貧血状態となり完全な精神活動ができず、精神が休息せざるを得ない状態でありながら、なおも余力があるため睡眠に陥れないときも夢が生じやすい。
 この覚醒前と熟睡前は、完全なる精神活動をするにはまだ力不足であり、また精神活動の休息や停止をするには余力がありすぎると考えられる。このように活動・休息どっちつかずの状態のときに夢は多く現れるようだ。夢そのものも目覚め前と熟睡前の中間に位置していて、不完全な精神活動もしくは不完全な精神休息の状態であるといえよう。
 夢の成り立ちや実体そのものは明らかに《心理》からくるものであるが、夢は結ばせることには《生理》はかかわっている。つまりこれらの作用は脳に血液がしだいに増えようとするとき、あるいは減少しようというとき、夢を見る人の意識に関係なく血液の運行によって行われているからである。この生理的な血液運行の初期か末期に、心理的な記憶・感情・予想・追念などが像を結んで夢を生じるのだ。
 生理的な血行に心理的な想念などが加わって夢が生じるのは、たとえてみれば潮頭(しおばな)という進潮の始め、または退潮の始めにあたって、ややもすれば風がこれに加わるのにたいへんよく似ている。潮が風を誘うわけでもないが、潮頭には風が加わりがちであるし、時にはそれに雨もついてくる。この風を潮風(しおて)といい、潮風とともに来る雨を「潮風の雨」という。
 この潮頭に風雨は加わるのと同様に、生理的血行に心理的な種々のものが加わるのは興味深いものである。まさに睡眠から目覚めようとするとき、血行が原因で生理が心理を誘って夢を生じ、またまさに熟睡に入ろうとするとき、生理が原因となって血液がしだいに脳から流出して血液不足になりかかった心理状態が夢を誘発するようだ。
 夢というものは半醒半睡、あるいは不醒不睡の状態で起きているのだが、その原因をよく考察すればこれはすべて人間の心身の作用だけから生じるものではなく、明らかに天の法則の下にあることがわかるであろう。

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