2009年8月11日火曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-4-4

【大切なのは自分と自然で和音をつくれるかどうか】編述者■渡部昇一
 暁に気はしだいに張ってきて、暮れになるとしだいに弛み、夜になると大いに弛み、また夜が明けると気は張ってくる。これが一日における自然の法則である。朝になると自然に気が張り、自然に血行が活発になるように決められているのだ。人間の一日における気の張緩というのは、大自然の一日における気の張緩の中に包みこまれているといったほうがわかりやすいかもしれない。
 日没あたりから天の気は下降する。日の出あたりから地の気は上昇する。水分の蒸発・降下は昼夜によって行われる。日光の光波と熱量の供給は昼夜によって交替的に行われている。草木は明らかに太陽の光と熱の作用によって大気を分解し吸収し、気温と気圧の作用によって乾燥を避け水分を取り入れている。
 草木の花や葉を精密に観察すると、その草木の一日における気の張りと弛みを正確に知ることができる。とくに木芙蓉などは朝の何時から昼の何時までは気が張っており、何時以降は気が弛むということさえくわしくわかる。もちろん草木の性質によって差異があり、朝顔のように暁に気が張るものがあれば、昼顔のように日中に気が張るもの、夜会草や月見草のように夕暮れに気の張るものもある。一般的には朝よりも昼に気の張るものが多いようだ。草木は人間のように高級かつ自由な意識器官をもっていないから、自然から加えられてくる気に素直に従っているようすである。
 生きとし生けるものは、すべてまぎれもなく宇宙の気の昇降・屈伸・旋回・交錯などによって育てられコントロールされている。草木を細かく観察するとおもしろい。草木は正直に無私に、天地の気の推移に合わせて起伏盛衰しているさまを見せてくれる。
 酸素を出す木の葉、窒素を集める豆の根、炭素を取り込んで茎幹を育てる夏の知恵、球根にエネルギーを蓄えて春を待つ冬の知恵、あるいはまた感情をもっているように見える含羞草(おじぎそう)、雨を予知する知恵をもっているような蓮の花、太陽を慕って回る向日葵、花の開閉を自ら調節しているように見える貝殻草や木芙蓉など・・・・・、まさしく天地の気の流行運移が草木の上で明白に展開されている。
 人間がこれら草木の移ろいを正確に観察できたならば、花が咲き花が散り、葉の緑が黄ばんで落ちるなどの、いっさいの現象は天地の気が作用している姿であることが理解できよう。いいかえれば、いっさいの物事において、それぞれの気がはたらいているというよりは、天地の気の中にいっさいの事物について、それぞれの気がはたらいているというよりは、天地の気の中にいっさいの事物が抱え込まれて存在しているといったほうがよいだろう。
 鳥獣虫魚を観察してみると、やはり一日の気の張りや弛みによって違った姿を見せ、違った力で違った行動をする。
 鳥は明け方には大いに勇み、飛び、鳴き、餌を求め、雌雄が呼び合う。朝方の鳥が日本の歌人によってたくさん詠われているのはご存じのとおりである。獣においても朝勇むものは駒だけではない。牛も犬もみな勇む。虫の場合は反対に暮れから夜に元気を出すものが多いが、朝から昼にかけて勇むものも少なくない。
 魚の場合、海の魚は潮汐によってその気が張り弛みするが、淡水魚は朝間詰夕間詰において最も活発になる。熟練した漁師はこのあたりを十分心得て大量に成功する。
 生命あるものはすべて、それぞれの気の《宿り場》となっているから、さまざまな個性を見せる。多くの花が昼に咲くのに夕方開くものもあり、多くの鳥は朝方勇むのに夜になって活動する梟や杜鵑(ほととぎす)もいる。多くの獣は昼に活動して夜眠るのに鼠のように夜騒ぐものもおり、虫でも朝型夜型がある。あるいはまた、天気がよくて清い水を喜ぶ魚が多いのに、暗闇濁水を好む鯰のようなものもいる。
 ことほどさように、観察するかぎり生物の世界は、じつにさまざまな様相を呈しており、中には特殊なもの偏ったものも存在するが、大自然の法則の中では朝から昼にかけて気が張り、夕暮れに向かって気は弛んでいくのがふつうである。
 やはり自然の力が、人間に自然のうちに気を張らせる夜明けから夕暮れまでのあいだに、自分でも分相応に気を張って活動するがよい。自分の気さえ張れば夜になって事にあたってもよいが、自然との協調ができない場合はやるべきではない。あくまでも自然に順応して、自然と自己とが協和諧調して張る気になったほうがよろしい。
 風に逆らって船を漕ぐことはできるが、風に従って船を漕いだほうが効率がよい。自然に逆らって自分の気だけを張るのは、たとえてみれば北風の中を北に向かって船を漕ぐようなものといえよう。この自然の気の運行と、自分の内の気の運行を相応じさせるならば「二重の張る気」ということになる。

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