2009年8月14日金曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-5-3

【戦わずして敵の戦力を見抜く望気の術】編述者■渡部昇一
 シナには昔から「望気の術」というものがある。
 戦闘は両軍が向かい合って戦うものだが、酒に酒の気があるように軍陣には軍陣の気があるという。軍陣の上にはその軍勢の中身に相応した外気が立ちのぼるのである。そこで軍気を考え察し、敵兵を見ないでその軍陣の規模や勢いを測ろうというのが、この「望気の術」なのである。戦わずして敵味方の戦闘力を比較して作戦を立てようというところからこの術は生じた。
 たとえば決死の覚悟をしている軍勢の上には、どんな気が立ちのぼっているか、あるいは驕り侮っている軍隊の上には、どんな気が漂っているか、これを観察して的確に把握できるのが「望気の術」だ。
 日本における「望軍気の術」はシナから伝えられたものか日本人が発明したものか明らかではないが、奇怪なる気の形を描いた着色図とその解説文など、軍学秘伝書が手書きで残されている。古い戦記物などによると、勇猛果敢な軍隊の気は黒ずんでおり、臆病で敗走しようとする軍勢の気は白けているという。
 鉱山などは特殊な鉱物を埋葬しているから、ふつうの山と違った気を発している。紅の気を出していれば珠玉があり、赤い気が出ていれば銅があるなどと書かれている『望気経』もあれば、鉱物採取を説いた『天工開物』などにも山の気の読み取り方が少しばかり説かれている。日本にも佐藤信景氏の『山相秘録』のような本もあり、望気の法で鉱山の鑑定ができると書かれている。そして実地調査を重んじて学説を軽視する鉱山師などは、今なお望気の秘術で山を診断している。単にこの秘術だけで鉱山を鑑定するのは危険なことだが、何かの物があれば自然に何かの気が出ているものだから、無視するわけにもいくまい。
 シナ思想では昔から、天象と人事とは密着した関係にあるとされてきた。『礼記』(らいき)や『呂覧(呂氏春秋)』などに多く記録されているが、聖王のほまれ高い殷の湯王(とうおう)が旱魃(かんばつ)は自らの責任であるとしたのは有名な話である。インドや西欧のように常識一点張りの国民の中でさえ、宇宙を人格化して、宇宙の根本は神霊の力をもっており、しかも情理を理解してこれに反応する作用をそなえているという思想が存在していた。
 これらの思想と関係があるのかどうか不明だが、《星気》や《雲気》を観察する研究は古代シナで早くから行われていた。星や星座付近の気、太陽の気、天の気を観察する技術はどこの国にも古くからあって、錬金術が科学に進展したように、アストロロジー(占星術)がアストロノミー(天文学)に発展していった。
 古代シナの占星術では、星の位置、光力、星同士のかかわり、その付近にある気の種類と状態とを照らして、人間世界の吉兆の運勢まで読み取ろうとした。星気という言葉は占星という言葉とともにシナの書物にしばしば登場してくる。
 そもそも「望気の術」は国の大事にかかわる軍団の動きを中心にして進んだものだが、もちろんそれだけにとどまらない。対象となる気の種類は多岐にわたり、気の観察の研究は幅広く行われた。その名称も、形の上からは冠気・履気・車気・騎気・烏気など、色からの白気・紅気など、行為の結果から善気・喜気などの吉兆禍福にいたるまで、万般にわたって命名されている。
 出発点が軍事であったが、「望気の術」をもって事に対応する思想は聖人・偉人・帝王・豪傑たちにも用いられ、星の気も雲の気も人間界の偉い人に応じているものとして信じられていた。シナの占術の書である『易』には軍事に関して説かれてはいるが、恋愛や結婚などについても説くところがある。

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