2009年8月15日土曜日

幸田露伴「努力論」を読む 第五章-5-4

【范増、劉邦に龍虎五色の気を望見する】編述者■渡部昇一
 およそ《気》というものは、煙や雲や陽炎のように、遠くから見えても近づくと見えないものをいうので、それで望気の《望》の字を当てているのだろう。しかしまた、まったく見えない物をいっているのではないことは、形や色などで名づけられているように、覇気や才気などというものとは異なっているのである。
 老子が西域に向かう玉門関を出るのに先立って、関令(関所の役人頭)の尹喜(いんき)がそれを知ったのは、望気の術によるもので、その気は紫気であったという。范増が劉備(漢の高祖)が大成することを知ったのも、龍虎五色の気を望気したとある。この種の話はシナの歴史には多くの残されている。
 シナの気の研究は大昔から始まっており、漢代を経て唐・宋から近代までに幽玄な学問の一部をなしていたかのようにさえ見る。そして、天子が代わるときや歴史の節目などには必ず、この《気》が登場してくる。でたらめな話みたいだが一理はあるだろう。
 わが国でも、平安朝時代に異気が生じた記録もあるし、大坂の陣の始まる前には大いに気が立ちのぼったことが知られている。俗間でいうところの火柱も、気のことと考えて間違いない。昔話の竜宮城の絵も『史記』の「天官書」にある蜃気(大蛤の吐く息)が描き出した楼閣に基づいている。このように日本でも気はかなり普遍的であり、また絵として見ることができるものであった。
 一方、形に表すことができない抽象的な気もある。
 漢代の思想・学説の書『淮南子』に出てくる、山気には男が多いとか沢気には女が多いという場合の気がそうである。この気は山や沢(沼沢地)から発する精神・髄気の力のようなもので、もちろん無形・無味・無臭である。
 この『淮南子』には、他にも目によくない障気(山川に生じる身体に害になる毒気)、耳によくない嵐気(水蒸気の多い山の大気)、しこりをつくる林気や木気、腫れものをつくる岸下の気、力をつける石気、こぶをつくる嶮岨(しゅんしょう)の気、しびれをもたらす谷気、精神異常や貪欲を招く丘気、仁を生じさせる流水の気、若死にさせる暑気、長生きさせる寒気などをあげている。このなかの暑気・寒気はその土地柄をいっており、気候と特性と人間の心身との関係を観察したものである。これらの気の解説がすべてあたっているとは思えないが、なかにはうなずけるものもある。
 だいたいにおいて、地方の特性の基づくその土地の気が住民の心身に影響を与えるのは当然の理である。俊才は山紫水明の地より生まれると、低俗な伝記作家がよく書いたりするが、これは本人の努力や苦心をまったく無視した愚説である。土地の特性をいうのならば、衆人より飛びぬけた俊秀の人よりもむしろ平凡な人たちがその土地独自の気を受けて、他の地方の人たちと異なった体質・性情・才能を持っていることをいうべきであろう。「鉢の木」で有名な北条時頼に仮託されている《人国記》は、諸国の地気と民風・士気との関係を語ったものである。
 土地の気が湿潤であるとか、乾燥しているという表現は、いわゆる「望気の術」に登場する気のように目立たないが、人体に対しては確実に影響してくる。いつも水辺で釣りを楽しむ人はリウマチに悩むと外国の釣りの本にも書いてあるし、ある病気の治癒には乾気の強い土地が最もよいとされている。オゾンの多い海辺は人々を健康にする。これらは単純に地の気とはいいがたいかもしれないが、人の心身に影響を与えるものだから、地の気の中に入れてもよかろう。
 軽井沢のように気流が滝のように流れている土地や、駿河湾・相模湾のように南に大洋を臨み北に高山を背負っているところは気候が平穏であるから、地気は清爽・平和であるといえよう。反対に泥沼などのように瘴気(しょうき)の立ちのぼる土地も多いから、地の気の悪い土地には近づかないことだ。

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